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~特集~スペシャル対談! 主宰 きたむらけんじ × ジャーナリスト 津田大介

 

津田大介

ジャーナリスト
メディア・アクティビスト
東京都出身
早稲田大学社会科学部卒
大阪経済大学情報社会学部客員教授
J-WAVE「JAM THE WORLD」ナビゲーター
NHKラジオ第1「すっぴん!」パーソナリティー
テレ朝チャンネル2「ニュースの深層」キャスター
メディア、ジャーナリズム、 IT・ネットサービス、コンテンツビジネス、著作権問題などを専門分野に執筆活動を行う。       
ソーシャルメディアを利用した新しいジャーナリズムをさまざまな形で実践。
世界経済フォーラム(ダボス会議)
「ヤング・グローバル・リーダーズ2013」選出。
週刊有料メールマガジン
「メディアの現場」を配信中。    

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2012年7月。演劇の街・下北沢「OFFOFFシアター」で上演された舞台『泡』。福島県小名浜の歓楽街を舞台に、震災から1年の姿を描いた人情喜劇は、福島からも多くのお客さんが来場し好評を博した。そして早くも2013年9月、福島県四都市(福島、郡山、会津若松、いわき)での再演が決定!さらに、福島公演の凱旋として東京・恵比寿でも上演されることになった。その再演に先立ち、初演を観劇したジャーナリスト津田大介さんときたむらとの対談が実現した。

『泡』100年計画

編集 『泡』は、津田さんがナビゲーターを務めている「JAM THEWORLD」(J-WAVE)というラジオ番組の取材がキッカケだったそうですね。
きた ボクがその番組の放送作家として関わっているんですが…震災から1年が経つ2012年3月の放送に向けて「被災地を取材しよう」という企画が持ち上がったのが、そもそものキッカケだったんです。津田さんが車を出してくれたおかげで、ボクも取材に同行できたんですよ。
津田 一緒に取材に行った者にしか分からない楽しみがたくさんありました。取材時に手土産を買おう!ということになって急遽、スマホで近くのお店を調べたらたまたま、地元でも評判の洋菓子店「グランブルー」を見つけたんです。ボクはそこで、シュークリームを買ったんだけど、これがいままでに食べたシュークリームのなかで5本の指に入るほどの絶品で。『泡』の中にもちゃんと「グランブルー」登場してましたね。
きた フィクションには、あまり流行廃りのあるものは入れるべきではないという考えがあるんですが…今回の作品については、あえて、小名浜特有の固有名詞を盛り込んだり、全国区のお菓子の名前を登場させたり、あえて、時代と地域を特定させることを意識した作りにしています。
津田 それは何でですか?
きた この作品の稽古中、役者さんたちに伝えたんですけど…「この作品は100年後にも上演される作品にする」って。だからこそ、時代性や地域性は邪魔になるから描かないのがセオリーですけど…それをあえて、100年後の人たちに分かりにくい言葉として残しておくことで、100年後の役者さんや演出家が「2011年の小名浜」という世界に深く入るための補助線を仕掛けておいたんです。
津田 取材の時には出て来なかったものとしては「チーズドック」も登場しましたけど、あれは?
きた 小名浜を追加取材する時に、Twitterを通じて小名浜のみなさんに呼びかけたんです。「こういう作品を作るので郷土料理というか、ソウルフードみたいなものがあったら教えてください」って。そしたら、続々と挙ったのが「リスポのチーズドック」だったんです。
津田 小名浜のショッピングモール「タウンモール リスポ」ですね。あそこの商店会長さんにも取材しまし
たよね。
きた 震災当時、小名浜がどんな様子だったのか?当時、みなさんにどんな商品が必要とされていたのか?震災から1年を迎えようというなかで、商店街(リスポ)としての売上げは仮設住宅に住む方たちが生活雑貨を揃える需要があったりして、落ち込んでいないというお話は興味深かったですね。あのとき伺ったお話は、登場人物たちの1年間を描く時のバックボーンになっているし、台詞の中にも反映されています。

大手マスコミが伝えない 小名浜のもうひとつの風景

津田 そもそも震災から1年という特別企画の取材先を、小名浜にしよう!という言い出しっぺはきたむらさんだったんですよね?
きた そうですね。
津田 なんで、小名浜の、しかも歓楽街に焦点を当てようと思ったんですか?
きた せっかくウチの番組で、しかも津田さんに取材していただくのだから…大手のマスコミがやらないような視点で震災から1年を伝えられないかなと思ったんです。その時、ふと思い出したのが、ネットのニュースサイトで読んだ『いま小名浜の歓楽街に原発作業員たちの行列ができている』という記事だったんです。街は被災していて復興の兆しも見えない中で、歓楽街だけが活況を呈していたと。これは、取材対象として興味深いなと感じたんです。
津田 あの地区には強烈な思い出があるんです。震災から1カ月後に小名浜に入ったんですが、まだ震災から1カ月だから、かなり街は酷い状況だった。でも、一部区間で車の渋滞ができてるところがあったんです。いったい何だろうって、渋滞の先頭を探してみると…それがラブホだったんですね。
きた ほぉ〜お
津田 あとで現地の人に聞いたら、ラブホ本来の目的で使う「カップルの渋滞」もあったんですけど…もう一方で、被災した人たちが仮住まいとして利用していて、それで渋滞してたんですね。
きた なるほど
津田 震災から1カ月だからいたるところに爪痕が残る中で、ラブホに渋滞ができていて、ラブホの向かい側、6号線(幹線道路)を隔てたパチンコ屋さんの駐車場は車で満杯だったんです。あの光景は、僕の中で強烈な小名浜の風景として残ってるんですよね。津波で壊滅的な状況になって、原発もどうなるかわからないって時でも、人はセックスをするし、パチンコに行っちゃうんだ、みたいな。これってマスメディアの報道では伝えられない「現実」だよな
と思いましたね。

壁に残る津波の痕

編集 津田さんは、番組の取材として、きたむらさんと同じモノを観て、同じ方のお話を聞いてこられたわけですが…取材時の思い出として、どんなことが残っていますか?
津田 最初に、小名浜の歓楽街を訪れた時の正直な感想は「えっ、こんな感じなんだ。結構うらぶれた温泉街みたいだな」というものでしたね。
きた 寂しい感じはしましたね。
津田 お店本当に営業してんのかやってないのかわからない感じの。
きた 住宅街に紛れちゃってね。
津田 そうそう。夜になるとようやく、ネオンサインの灯りで、そういう一帯なんだっていうことがわかるんですよね。
きた まさに、あの一帯に祖父母の家があったという方にお話を伺ったんですが…もともとは、あの一帯が花街だったそうなんですが…時代とともに衰退して、置屋だったところが取り壊されて土地が売れられて、そこに住宅が建ってというサイクルが繰り返されるなかで、いつしか、住宅街の中にぽつんぽつんと風俗店がある形に変貌していったそうです。
津田 ボクたちが取材したお店は、歓楽街の中で一番、海に近かったこともあって、唯一、津波による浸水被害を受けたお店でしたね。壁に残った泥水の痕は、いまも印象に残っています。

歓楽街から学ぶ“仕事の真理”

津田 ところできたむらさんに聞いてみたかったことがひとつあるんです。あのときの取材がベースになって『泡』が出来たわけですが、もともと、取材に行く前から「これは舞台の題材として使えるかも!?」みたいな考えはあったんですか?
きた それが、全くなくって。
津田 そうだったんですね!きた 2011年の年末特番で、宮城県・石巻市から中継するということで、いろいろ回って、お話も伺ったじゃないですか?
津田 石巻日日新聞の編集長さんや、石ノ森萬画館の運営スタッフの方、コミュニティFMのスタッフの方、仮設住宅で暮らしている方など…いろんな方にお話を伺いましたね。
きた でも、あの時の取材では、物語にしようということを感じなかったんです。物語にするか?しないか?という発想すら無かった。じゃあ、小名浜の歓楽街取材に何を感じたかといえば、仕事に対する普遍的な真理があったからだと思います。
編集 どういうことですか?
きた もちろん、石巻市の取材から普遍性というものを抽出しようと思えばできたと思います。でも、そうやって無理矢理、抽出したものでは意味が無い。むしろ、それよりも事実が勝っているので、そのインパクトの方が物語を凌駕してしまう。だから、物語を紡ぐ立場として、感覚に刺さるものがなかったのだと思います。もちろん、どちらかに優劣を付けるという意味ではなくて、あくまでも創作する気が起きたか?起きなかったか?という話です。
津田 きたむらさんが小名浜で見いだした「仕事の真理」って何ですか?
きた 歓楽街取材の時にお話を伺った店長さんが「歓楽街で、人気ナンバー1になる子っていうのは、美人だったり、スタイルが良いだけではダメなんだ」というコトを教えてくれたじゃないですか。
津田 ありましたね。取材を終えて帰り支度をしているボクたちに、ボソッとつぶやいた、何気ない世間話だったけど…男性スタッフは一番、その話に食いついたという(笑)
きた (笑)で、「じゃあ、どんな子がナンバー1になるんですか?」って聞いたら・・・その答えが、どんな仕事にも当てはまる「仕事の真理」だったでしょ。接客のプロとしていかにお客さまを喜ばせるかという所が肝心なんだという。その話を聞いた瞬間…「あ、これは物語になるな」「震災をキッカケに聞いたお話ではあるけれど、お話そのものは、震災とは関係のない普遍的な真理だな」と感じたんです。その時、すでに、被災地の物語ということを超えて、その普遍性が勝っていた。だから、物語にしようと思ったんだと思いますね。
津田 あの取材では、タウンモールリスポの方にもお話を伺いましたけど、きたむらさんが一番印象に残ったのは、歓楽街の店長さんの話だったんですね。
きた えぇ。帰りの車のなかで「これは舞台になるかも」って、ひとりごとのようにつぶやいたら、「また、番組の取材から題材を持って行くのか?!」ってスタッフから突っ込まれたりして…
津田 ああ、あったあったそんなやりとり!(笑)震災をキッカケにして、歓楽街という非日常の場所で、唯一、津波の浸水被害にあったという日本全国唯一あそこのソープでしか起きないような場所で、普遍的な話を聞いたことが『泡』という物語が誕生するキッカケだったんですね。
きた そういうコトなんです。

難航した脚本づくり&役づくり  

津田 その後、きたむらさんは単独で追加取材をおこなうワケですね。
きた えぇ。まだ、物語を一行も書いていない段階で、おおよその登場人物を想定したんです。すると取材が足りない部分が見えてくる。それで、小名浜の震災を描くとき、漁師の存在は欠かせない。だから、漁師の世界をちゃんと取材しなきゃいけないなと思って漁業組合の方にお願いをしてお話を伺ったんです。そのほか、いわき湯本の旅館の方とか、移動中のタクシーの運転手さんにも話しかけたりして・・・
津田 じゃあ脚本は、取材を終えたらわりとすぐできたんですか?
きた いや〜、難産でしたね。震災をキッカケに出現した葛藤に対して、どちらの立場にも偏らないフラットな作品でありながら、エンタメとして楽しんでいただくという…難しい両立をどうやって成立させるかというところで、あーでもないこーでもないと思い悩んで…結局、全部書き上がったのは公演の10日前でした。だから、役者のみなさんにはとてつもないご苦労をおかけしました。登場人物が全員、東京弁だったらいいんですけど…小名浜の物語ですから、配役の半分が福島弁だったでしょ…だから、台本を渡されたら、そこからすぐに覚えて良いワケじゃなくって…福島弁が話せる役者さんに協力していただいて、台本を福島弁で読んでもらって、それを録音したモノを聞きながらの役作りですから…公演の10日前といっても、実質はその半分くらいの感覚だったと思います。
津田 毎週ぼくらは番組の度に会うわけですが、毎回「書けました?」って聞くと、「まだ、出来てないんですよ」って言ってましたもんね。悩んでいたのは話のオチをどうつけるかっていう部分ですか?
きた そうですね。物語の展開として、どうやって面白くエンターテイメントにしていくかっていうことと・・・震災を描いてるってことで、なるべく被災者の方につらい思いを思い出させるようにはしたくないし、変な偏見みたいなものも描きたくないし。あとやっぱり、「人情喜劇」を謳う以上、笑ってもらいたい。でも不謹慎な笑いでは意味が無い。いかに、人間の営みの先にある、自然な笑いを折込ませるか・・・エンタメとして、ご来場いただいたお客さまに、気持ちよく帰ってもらいたいというのはありました。

 
初演をご覧になった津田さんの感想は?  

編集 津田さんは初演もご覧になっているワケですが・・・いかがでしたか?
津田 いや、とてもよかったですよ。今まで見た舞台の中でも相当上位です。
きた ありがとうございます!
津田 一番最初に思ったのは、舞台のセットがまずリアリティあるなって。我々は古めかしい旅館みたいなソープの待合室で取材させてもらったんですけどあの感じがとてもよく出ていた。あの時、僕らは女の子には会えなかったんですけど『泡』に登場する二人のソープ嬢が、まさに、あのお店に「いそうだな〜」と感じる雰囲気で。こう言っちゃ失礼かもしれないけど、めっちゃソープ嬢っぽいなあと思って(笑)
きた 胸の谷間もすごくてね。あの作品のなかで、唯一の色気です。
津田 僕のメルマガでも再録もしてますけど、番組で取材した中でおもしろかった報道番組としての「肝」の話もちゃんと、ストーリーの重要な軸として盛り込まれているのも良いですよね。再建するためのお金をどうするのかみたいな話とか。融資が下りる下りないの話とか。
きた はいはい。
津田 単なるエンタメに留まらず、報道視点の情報も全部ちゃんと組み込まれていたので、「なるほどこういう風に入れ込んだのか」と感心させられました。エンタメとしてのおもしろさがある一方で、全部本当の話をベースにしているから、フィクションだけれども、リアリティがすごくある。そこがこの舞台の一番の魅力だと思います。

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震災を語り継ぐ大切さと難しさ  

きた この前、初演のDVDを福島県の方々に観てもらったんですが・・・「これを県外の人に観てもらうために県外で上演するのはよくわかるんだけれども・・・福島県でやる意味がよくわからない」とか・・・「なぜ歓楽街でなくてはいけないのか?」「当時を思い出して辛い」など・・・否定的な意見もありました。
津田 それはそうですよね。そのアンビバレンツ(=相反する)な感情は被災地が抱える課題のひとつですよね。震災の記憶をどう語りついでいくのか、どこの地域も悩んでる。例えば、被災した建物を取り壊すのか否か?みたいな話は小名浜に限らず、どこでも問題になっています。小名浜の歓楽街は、震災前から存在していた地域なんだけど…震災をキッカケに、ことさら注目させなくてもいいじゃないか!っていう意見もあるでしょうし。でも、歓楽街が街を支えて来た、人々の心を癒して来た事実もあるなかで、ひとつの文化として、エンタメの中でそれを描いて、語り継いでいくことも、大切なことだと思うんですよね。そういう、普通のメディアでは記録されないようなところから見えて来る真実を後世に残すっていうのを辛いっていう人がいるかもしれないけど、なにも語り継がれなかったら、ひたすらただそこは忘れられてくだけなんでね。
きた そこの折り合いが、やっぱり難しいですよね。
津田 残す側としては、そこは覚悟が必要なんだと思いますよ。きたむらさんもすごく配慮して書かれたんでしょうけど、それでもやっぱり「思い出すからこんなの書かないでくれ」っていう意見は、ゼロにならないんです。でも、そのいっぽうで「いいじゃんこういうの!」って言ってくれる人も確実にいる。どちらを向いて、どういう覚悟をもって表現するか、ですね。
きた そうなんですよ。実際、福島公演のキッカケになったのは、福島県内で発行されている経済誌に掲載された劇評なんですが・・・この劇評を書いた方は、もちろん福島の方ですし・・・今回の公演をサポートしてくださっている小名浜の若手グループの方は、初演時にわざわざ自腹で電車を乗り継いで東京・下北沢までいらっしゃって、涙して、そして笑って帰って行かれた。そういう方もいるんですよね。試写会でもみなさん、笑って泣いてという反応を
してくださった。これはつまり、作品単体としての出来を物語っているのかなと考えています。その点は、試写会を通して作り手として得た手応えですね。
津田 被災地に関わって、そこの記憶みたいなものを後世に残すようなジャーナリズムだったり、劇作だったり。あとは博物館を作るにしても、たぶん全部、そのあたりの感情や問題を抱えなきゃいけない。だから、作り手側や発信する側には、そこの覚悟が必要になるってことですよね。何かしらの形で残せばもちろん評価してくれるひともいれば、絶対最後まで認めないってひともいますから。それでもこれを残しておくことに意味があるんだっていう、強さとか強度を持つことも大事だなって思いますけど。その意味で、『泡』という作品は強度がしっかりある作品だと思います。
きた ありがとうございます。

 
『泡』で伝えたいこと  

きた そこに震災をきっかけにした諍いみたいなのもを思い出させる部分も描いています。それは逆にいいことで、あのときみんな一致団結したよねっていうのを思い出させてくれるし当時を切り取っているという意味で、いい作品じゃないかっていう意見もいただきました。
津田 きたむらさんがこの『泡』という作品で伝えたかったものは何ですか?
きた 震災と原発事故があってから、福島「県内」と「県外」という構図が生まれましたよね。なにか福島で暮らしている人たちが、自分たちとは違う特別な人なんじゃないかっていう感覚というか・・・。でも当然、そんなワケなくって・・・福島には震災や原発事故と関係ないところで、普通に日常があって、普通に誕生日があって、普通に誰かが喧嘩をして、普通に喜んでとか・・・そういう日常があるのに、そういう現実をあえてみない。まあ、マスコミで伝えられる情報も、悲劇的な視点ばかりの切り取り方なので仕方が無い面もあるんですけど・・・そういう、偏ったイメージを舞台を通して払拭したいという想いで脚本を書いていました。つらい面はたしかにあるけど、それだけじゃない!っていう。もう、その視点を描けた時点で、アートだし、文学であるという気概をもって書いていましたね。福島に存在する日常を描くことで、県外の日常と福島県内の日常は、ぜんぜん変わりがないものだって感じてもらえたらいいなって。
津田 きたむら作品を僕もいろいろ見せていただきましたが、『泡』は、きたむらさんがいままで書かれてきた社会派の作品の中でも、ちょっと毛色が違う、異色の作品でしたね。実際に上演をして、最初は東京の小劇場でやったものが今度は被災地福島で上演できることになったことは作家としてはどういう気持ちですか?
きた 物語を書いていて悩んだのは明確な敵がいないこと。誰かを悪者にすれば解決するほど単純に図式化できない事情が複雑に絡んでいます。そういった実情を物語としてどう成立させるか苦心しました。そうして生まれた物語が地元の方に受け入れられたのはうれしいことだと思っています。これをきっかけにほんとに全国展開していくような感じになったらなあと思っています。そうして、偏見を少しでも取り除いてゆきたい。
津田 これから映画や演劇の人でも東日本大震災を舞台にしてつくるっていう作家はたくさん出てくるだろうとおもうんですけど、きたむらさんはどういう形で大震災に関わっていきたいですか?
きた 物語を作る時、登場人物の略歴を作るんですけど・・・これから劇作するときに、2011年3月、この人物は何をやっていたか?っていうのは絶対登場人物の設定の中に入ってきますよね。
津田 なるほど。
きた その設定を無視して作られた作品は、全部、ファンタジーになってしまう。ボクの場合、物語のベースはリアルでありたいと思う方だから、震災というのは、それそのものを描かなくても自然と反映されてくだろうと思っています。仮に、『泡』以外の題材で震災を描くって時には、たぶん悲しい物語よりも、一種の“おかしみ”みたいなものを感じたときに描くんじゃないかなと思います。震災をキッカケに、小説家、劇作家、映画監督などなど、物語を紡ぐ役割を担っている人が、被災地に入って、地元の方々と交流を持ちますよね。そこで酒を飲みながら話すことで、掘り起こされていく地元の話が、これからどんどん物語化されてくんじゃないかなって思っているんです。それは、直接震災に関係したお話じゃなくて、その土地土地に根付いた当たり前の話が掘り起こされていく。そういう中で僕の担当は、人情っぽく、喜劇として描ける題材だなと自分の中で感じたときに、必ずそれは物語にしていこうかなとは思っているんです。そうやって、震災や被災地への想いや関心を風化させないようにするのが、ささやかな役割だと思っています。
津田 これからの作品も気になるんですが・・・まずは福島公演ですね!
きた ええ
津田 ボク、福島へ観に行きますよ!
きた ホントですか!?嬉しいなぁ〜。いつ、いらっしゃいます?
津田 ええっと・・・
(*編集/このあと津田さんは、福島いわき市小名浜公演、9月8日(日)を『泡』観劇のため空けられたのでした!)

そして、いわき市小名浜市民会館11:00の回終演後はアフタートークを開催します!

主宰きたむら、津田大介さん(@tsuda)東浩紀さん(@hazuma)、開沼博さん(@kainumahiroshi)による
スペシャルトーク“「泡」観劇後の感想&[福島第一原発]観光地化計画”お聞き逃しなく!

 
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